平和と愛の為にダンスで闘う。私がチリで出会った伝統舞踊”クエッカ”の光と闇

初めての南米訪問。アメリカを経由して、私は日本からどこまでも遠く離れたチリへと足を踏み入れました。初めて訪れたチリへの渡航前の印象といえば、陽気なラテンな人達、暑い国、南北と細長い国…?

恥ずかしながらもあまりチリについてよく知らなかった私ですが、実際に行ってみるとそこには快活でフレンドリーなチリの人達と、その裏の複雑な歴史を知る忘れられない体験となったのです。

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日本とチリとの意外な共通点

共通点①:チリは日本への世界一のサケ輸出国

チリは南北に海に接している為魚介類がよく獲れます。ですが意外にもチリの人達は日本人のように家庭で魚介を使ったお料理を作ることは少ないようです。チリでの多くの魚は日本を含め、世界中へと輸出されているのです。

特にチリはサーモンの養殖技術が発展していて、日本のサーモンの輸入シェアはチリが大部分を占めていると言われています。

またチリで食べられる有名なお魚として、メルルーサが有名です。白身魚でとても淡白な味なので、フライにしてレモンをかけて食べるとサッパリしてとても美味しいんです。このメルルーサも日本には多く輸出されています。

共通点②:チリは地震が多い国

チリは日本と同様に地震がとても多い国。火山活動が活発でチリで起きた地震は規模が大きいものになると津波被害が日本にも大きく影響します。そんなチリには日本だとちょっと不謹慎?!と騒がれてしまいそうなチリ名物のお酒があるのです。それは…

ジャン!! このユニークな見た目のお酒はTeremoto(テレモト)といって、スペイン語で「地震」という意味なんです!

材料はipeño(ピペーニョ)という甘いワインにピスコ(アルコールの強い葡萄の蒸留酒)といった度数の強いお酒、更にはパイナップルアイス、グレナデンシロップといった甘さの要素をたっぷり加えた摩訶不思議ですが、これが美味しくてやみつきになってしまうお酒なんですね…!

何でもこのお酒を飲むと、酔っ払って足元が地震にあった様にフラフラになってしまうことが名前の由来なんだとか。

チリの人達も地震が多い日本には関心を抱いている人達が多く、私の友人が「日本にとって地震は悲しいものでしょ?チリでも地震は大きな問題だけど、こうやって地震という名前のお酒を飲んで、団結力と一緒に皆で笑い飛ばすのさ」と教えてくれたのがとても印象的でした。

(ちなみに写真は大容量のテレモトを皆んなで何杯もシェアした挙句、ついに酔いつぶれてテーブルから崩れ落ちる直前にシャッターを切った時の写真です。)

そんなチリで私が出会った伝統舞踊文化「クエッカ」

陽気でフレンドリーなチリの人達や、街並み、気候や雰囲気を感じていくなかで私はチリという国をだんだん好きになっていきました。その中でも私を虜にしたチリの文化があります。チリの舞踊文化のクエッカ(Cueca)です。

クエッカって?

クエッカクエーカクエカ(cueca)は、ボリビア・チリ・アルゼンチンで盛んな舞曲である。6/8拍子のリズムに乗せて、男女のペアがハンカチ(pañuelo)を振りながら踊る。ペルーのサマクエカ(zamacueca、現在はマリネラと称する)を起源とする踊りで、アルゼンチンのサンバと同一系統である。

wikipediaから引用

ペルーが発祥と言われているクエッカですが、そこから独自の変化を経てチリでも多くの人に親しまれる様になりました。現在ではクエッカはチリの人達にとって国民的な伝統舞踊となっています。

この踊りは雄鶏と雌鶏の求愛の姿を踊りにしたものだと言われています。上の写真のように老若男女問わず男女がペアを組み、お互いが片手にハンカチを持ち音楽に合わせて円を描くようなステップで踊るのです。

ポイントは踊っている時にお互い見つめ合い、目を離さないこと。そうする事でこのペアのダンスに統一感が生まれるのです。

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チリの世界遺産都市バルパライソ(Valparaíso)とクエッカ

チリの有名な観光都市「Valparaíso(バルパライソ)」は首都サンディアゴから西に約120km離れた都市です。この都市でもクエッカは多くの人に愛され、クエッカの多くの曲がバルパライソで生まれました。

バルパライソの小高い丘を登っていくと、そこは迷宮のように入り組んだ街並みにチグハグで無数の鮮やかな色で溢れた家やアートの数々。思わずカメラが手放さなくなるような魅力的な都市なのです。

また太平洋の広大な海に面していて湾岸都市としても有名なバルパライソ。港には多くの漁船が止まっていて、海と山に囲まれたどこか哀愁が漂うこの都市はどこを切り取っても美しく、遠く離れた日本から来た私の心を掴んで離しませんでした。

こちらは人形劇。クエッカで使われる曲に合わせて人形が楽器を演奏しながら歌うのですがこれが本当にリアル!思わず演奏が終わった後は拍手をしてしまいました。

街中のレストランでは地元のミュージシャンがこのように歌いに来ます。地元のチリ人のお客さんはテーブルから立ち上がり、リズムに合わせてハンカチを優雅に振りながらクエッカを踊るのです。

愛にまつわる曲が多い「クエッカ」ですが、こちらの都市バルパライソの美しさや彼らの故郷を慕うノスタルジックな歌も人気です。

このように、チリにとって『クエッカ』はどの都市でもチリ人に愛される大切な文化なのです。しかし、このチリの伝統舞踊クエッカの裏には、チリの人達にとっては決して忘れることの出来ない悲しい歴史が過去にありました。

チリの悲しい歴史。軍の暴動クーデターと沢山殺されてしまった国民たち。

9月11日。この日にちについてあなたは何を連想しますか?多くの人にとってアメリカの同時多発テロを連想するかと思います。

しかし、チリの人達にとってこの日はチリ・クーデターの歴史的な1日。1973年9月11日に、チリの首都サンティアゴ・デ・チレで軍事クーデターが発生しました。

当時の大統領だったサルバドール・アジェンデ大統領(上の写真銅像の人物)は世界で初めて自由選挙による社会主義政権を選出した人物。しかしピノチェト将軍の指揮する軍が武力で激しくそれを鎮圧したのです。

独裁政権を非難した歌なども厳しい取り締まりの対象になりました。こうした活動家達や当時のチリ人達は見つかり拷問・殺害される事を恐れ捨てることも出来ず、見つからないように必死に隠していました。

軍事独裁国家となった当時のチリでは激しい左翼狩りが始まりました。軍政権に反対する多くの共産主義の活動家や音楽家、芸術家が連れ去られ、投獄、拷問され殺されたのです。まさにチリでの悪夢の時代でした。

今でもチリでは当時の軍事政権での出来事や迫害で命を落とした人達のことを決して忘れないと大きな集会やイベントが開かれている。

不当な逮捕や人権侵害が相次ぐ軍事政権は世界中から国際的非難を受けました。またいくつかの国がこうした現状を見かね、迫害の危機にあるチリの人達を難民として当時受け入れたのです。

現在私が在住しているベルギーも当時はそのうちの国のひとつ。今も多く独裁政権時代にチリから難民としてやってきた世代の人達がベルギーの首都・ブリュッセルに住んでいます。

クエッカのもう一つの顔。独裁者政権の下での悲しきダンス

アジェンデ大統領はクーデター時に死去。最後まで軍事政権に抵抗した彼は壮絶な最期を遂げました。今でも彼は多くのチリ人に愛され、記憶に残っています。

ピノチェト将軍の下での恐怖政治に対し、多くのチリの女性達が軍政権に対して抗議の意味でクエッカを踊りました。家族の夫や恋人が拉致されて残された母親、妻、家族は本来ペアで踊る筈のこのダンスを1人ぼっちで踊ります。

それは愛する人を奪われた事実やチリで起こっている人権侵害への抗議の形でした。彼女達は自らも危険でまた究極に孤独で辛い中で、でも少しでも世界中からこの悲惨な現状について世界に注目してもらおうと必死に踊ったのです。

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現在・そして未来へと引き継がれていく平和の象徴のダンス「クエッカ」

そして現在。1988年に国民投票によって軍事政権は終わり、再び平和となったチリでは、悲しい歴史を胸に抱えながらも今もクエッカが年齢層を超えて多くの人に愛され続けています。

深夜に訪れたチリの首都・サンディエゴの人気のバーでは足の踏み場も無いぐらい、お年寄りから若い人達が愛する人や見知らぬお隣さんとハンカチを思い百に振り、笑顔でクエッカを踊っていました。

そのあまりにも楽しそうな様子は、過去の悲しい歴史なんて想像も出来ないぐらい。しかし当時沢山の辛い体験をした世代から若い世代へと、今でもクエッカは引き継がれています。

この旅で私が出会ったチリでの国民的伝統舞踊クエッカは、悲しい過去を超えて希望のある未来へと引き継がれていく希望のダンスでした。

一部画像提供協力:Joaquín GuzmánShultz (Flickr)